銀河鉄道の夜 その2 天使か悪魔か ~長岡俊輔君を悼む~

今年はフラーテルが創部してちょうど10年という節目の年を迎えている。

そんなフラーテルが、10年間一度も行ったことがない岩手県岩手町に創部以来初めて遠征した。
それは来年の岩手国体を前に強化を行っている岩手クラブの招きによるものだった。
だが、その岩手合宿に到着したのとほとんど同時にフラーテルは俊輔の訃報を、彼の故郷である岩手県岩手町で受け取ることになったのだった。


どのような運命の巡り合わせなのだろうか。


今年の社会人選手権の会場でもあり、来年の岩手国体の会場でもある岩手町総合グランドで、2日間の短い強化合宿を終えたフラーテルは名古屋に帰ってきた。バスには俊輔の在りし日のユニフォームや遺品が積まれていた。
ユニフォームや遺品は名古屋の葬儀で展示された。この遺品は岩手クラブの方が俊輔の実家で探してきてくれたものだった。


一体誰がこんな結末を想像できただろうか?


長い長いバス移動を終えてようやく到着した宿舎で選手たちが訃報を受け取った瞬間
宿舎に俊輔のお母さんが震える手で差し入れを届けてくれて、選手たちと共に玄関で泣き崩れた瞬間
俊輔の実家で岩手クラブの方が遺品を探している瞬間 それを選手たちが受け取った瞬間
再び長い長い時間、バス移動をして俊輔の遺品が岩手町から名古屋に運ばれてくる、その途中の新潟県で


空に広がる長岡の大花火


長岡の大花火は、もともとの起源は慰霊の花火なのだそうだ。
大空襲で失われた命を慰めるために70年前から行われており、花火大会に先駆けて毎年同じ日の同じ時間に真っ白な尺玉を3発上げるのと同時に、長岡市内の寺院は慰霊の鐘をつくのだそうだ。私がそんな話を知ったのは、つい昨日のことなのだけれど。


俊輔は大学を卒業してから一般企業に1年ほど勤務したけれど、ホッケーへの情熱が高まり再びフィールドに戻ってきた変わり種だった。
表示灯ホッケーチームから名古屋フラーテルホッケーチームへ、実業団社会人からNPOクラブチームへ、変化の狭間にちょうどめぐり合わせた選手でもある。

そして俊輔は、それまで在籍していた「元表示灯ホッケーチーム」の選手と、フラーテル創部以降に入ってきた新人・若手選手との間で、双方を結ぶ重要な役目を果たした、フラーテルの立役者ともいう存在だった。
これについては誰も異論はないだろう。なぜなら誰よりもその恩恵を受けたのは私自身であり、また彼によって選手生命を救われた選手が(決して大げさでなく!)何人もいることを私はよく知っているからだ。



私がフラーテル創部と同時に広報になった時、私は一人ぼっちで孤独でした。
私の前には誰もおらず 私の後にも誰もいない 仲間もいない 前例もない やり方も何もない
どうしよう と思った。

そんな時 俊輔が私のために、歓迎会を開いてくれたのだった。
それは、俊輔とトシ(福田敏昭)とびっちゃん(尾藤豊)の、法政大学同級生でフラーテル同期生(正確には俊輔は1年遅れて入ってるけど)3人と私だけの会で、俊輔は私に

フラーテルにようこそ、もう僕たちはチームなのだから、何でも相談して、何でも助け合っていこうね


そう言ってくれたのだった そして小さな居酒屋で、何でも頼んでいいよ!今日は僕たちがおごってあげる!と彼らは言いました。
今でも覚えている 私は帰り道ですごく泣いてしまったからです。
不安で、けれど嬉しくて、とてもホッとして、明日から頑張ろうと思った、この人たちのために選手たちのために
小さなことでもいいから役に立ちたい、いろいろな方法があるかもしれないけれど大切なのはきっと

いつも どんなときも ただひたすらに選手たちのために
いかなることも 全て必ず 選手第一であろうと


心に誓ったのでした


カユ(粥川幸司)タカ(高瀬克也)をはじめ、現在チームの屋台骨である選手たちの、それぞれの中での俊輔との関わりを聞けば聞くほど、知れば知るほど、俊輔は凄い奴だったのだなあと思わずにはいられない。


誰かの心の痛みや悩む気持ちを敏感に察知し、それを自然な形でうまーく解決してくれようとしてくれた俊輔。
チーム内のいろいろな選手のさまざまな悩みや苦しみを受け止めているからこそ、それらを総合的に冷静に見て判断し、良いアドバイスや安心できる言葉をくれた。


私だけかと思ったら大間違いで、皆俊輔に頼ったり助けてもらったり、「もーアカン」とか「モー知らん」とか、人によっては「ヤメテヤルー」という投げやりな瞬間を、俊輔はしなやかに受け止めてくれて、あの不思議な「受けて流す」流線形のセービングで、はぐれかけた心をもう一度チームという群れの中に流し込んでくれたのだった。


そう言えば、長岡ノートという交換日記もあったらしいね。
新人も気軽にいろいろなことを質問できるように俊輔が考えたものらしい。


俊輔は自ら「フラーテルのさわやか担当でーす」とよく言っていたように、あの微笑みで多くの人を虜にしていました。
けれどその微笑みの奥で、ちゃんといろいろと冷静に考えていて、ただただニコニコ笑ってやり過ごしたり、
問題に立ち向かうことなく笑ってごまかしてウヤムヤにしてしまうようなことがなかった。
非常に冷静で賢く、また慎重で、そして人一倍社会常識があり、きちんと状況を判断して行動ができる「おとな」だったと思う。
そうした彼のいい意味での二面性を私はよく

「天使の顔をした悪魔だ!」

と言ってからかっていました。(ものすごい褒め言葉のつもりなんですけど)
この「天使の顔をした悪魔」という表現を俊輔もまんざらではない様子で気に入っていて
「ふふー!この顔に騙されるんですよ(笑)」と言っていました。

先輩からは一目を置かれるご意見番であり、後輩からは本当に頼りにされ信頼されていた俊輔。
知恵と勇気があり、柔軟性に富んだセービングをする俊輔は、対戦相手から見たら、全く気を抜けない存在だったと思う。
ディフェンス陣と一体になった華麗なプレースタイルは、敵から見たらまさしく悪魔?じゃあないの。

なによりも私は、ホワイト俊輔(天使)よりもむしろ、ブラック俊輔(悪魔)の方が好きだったな。
失点しても表情一つ変えない、「あの顔」でスーッと戻ってきた、
その姿はニコニコと人当たりの良い何でも相談に乗ってくれる頼れる兄貴なんかではなく、
燃えたぎるような闘争心を平然とした表情の内面に隠し切ることができる、心の動きを決して表に出さない、
崇高なまでの強靭な精神力を持った一種の悪魔的センス、に違いなかった。




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by frater2015 | 2015-08-24 01:38